〇大衆文学資料

宝石にある翻訳資料



『「山と水」感想』(抜粋) 江戸川乱歩
 「山と水」は涙香自身が経営者で在り社長であった「万朝報」の新聞小説として、明治三十七年五月から翌三十八年四月に亙って連載されたもので、原作はバレット(Frank Barrett)という人の High and Deep という小説です。
         黒岩涙香「山と水」(春陽堂、日本小説文庫) 昭和一二年二月刊
  テキスト 『蔵の中から』講談社江戸川乱歩文庫 昭和六十三年刊


『山と水』(解題抜粋) 伊藤秀雄
 「佳人ビデイ姫の伝」と副題がついている。「万朝報」(明治三七年五月二十八日〜三十八年四月十七日)訳載。原作は英国、フランク・バネット著『ハイ・アンド・デイフ』(High and Deep. 心臓の鼓動或いは高く或いは低くという意味)。

『増補改定黒岩涙香』 昭和五十四年桃源社刊


 『紙魚双題』(抜粋) 妹尾アキ夫
 戦後、私は教文館の古本部で、掘出物を一つした。それは黒岩涙香の「山と水」の原本「ジ・アドミラブル・レディー・ビティー・フェイン」である。
 「山と水」の原本の名を「ハイアンドディープ」と記憶していた私は、最初その本を棚から抜き出したときには気がつかなかった。だが、ところどころ抜き読みして、それで「山と水」であることを発見するに及んで、胸が轟くのを覚えた。(中略)
 それは一九〇三年のケルス社出版、いまの日本の雑誌と同じ大きさ、同じ厚さの、私たちが昔六ペンスライブラリーと呼んだ、紙表紙の廉価版である。いまは見るからに俗悪な、毒々しい表紙絵のついた、ポケットライブラリーとかいう、小型のアメリカの双書が巷に氾濫しているが、一時代まえに流行したのは、それとは比べものにならぬほどの品のよい、落着いた、この六ペンスライブラリーだった。(中略)
 ただひとつ、私の腑に落ちないのは、原作の題名が「ハイアンドディープ」だというのに、私の持っている原作の題名が、「ジ・アドミラブル・レディー・ビティー・フェイン」となっていることである。これにたいして私はこんな解釈を下してみた。(一)私の持っているのは初版だが、一年のうちに改名して出版したのかもしれない。(二)一九〇三年頃、同じケルス社から、クイヴァー、ケスルマガジン、ケスルズ・サタディ・ジャーナル、ベニーマガジン等の雑誌を出していたから、それに「ハイアンドディープ」として連載したものを、のちに一冊にまとめたのがこれなのかもしれない。

宝石 昭和二十八年八月号







『大衆文学発達史』(抜粋) 木村毅
 涙香が訳したのは主として、この鰐皮表紙に変わってからのシーサイド・ライブラリイである。なぜそれを格言し得るかと言うに、大正十一年か二年の六月頃、私は一山のシーサイド・ライブラリイを購い、持ち帰って読んで行く中に、それが、涙香の所蔵本で、巻中に色々書き入れがしてあるのを発見した。

改造社日本文学講座第十四巻 昭和八年刊


『ボアゴベの「鉄仮面」について』(抜粋) 伊藤秀雄
 涙香と親友の森田思軒は、涙香に懇望されると、明治二十九年、万朝報に入社し、社へは行かずに寄稿だけして生活していたことがあった。そのお礼として思軒没後もその蔵書は全部朝報社に預けて思軒文庫として保管してもらっていた。涙香が訳した原書もその中に混じっており、涙香が後見人となっていた思軒の一人娘(下子)は作家白石実三に嫁ぐ際に、さきに涙香から持参金の代わりにと貰っていた思軒文庫を引きとった。しかし、白石の家が手狭なので彼は処置に困って雑本は売ってしまったのである。
 木村毅によると、これが、神田の一誠堂の店頭に山のように積まれていた。シーサイド・ライブラリイとラヴェル・ライブラリーで、ボアゴヘトとかガボリオが多く、ミス・ブラットンもあったという。一冊十銭だというので木村は十円だけ買った。あとから大戸喜一郎も涙香の所蔵本だときくと買いにいった。

日本古書通信 昭和六十一年十二月号


 仙術角書
『霞の衣』の原作(抜粋) 伊藤秀雄
 涙香の蔵書はその歿後散逸したこともあって、彼の訳した小説の原作は未だに判らないものが多い。原作が判明しないというところに、それがかえって魅力にもなっているが、歴代のこの方面の研究家は期せずしてその原書の詮索に当たったものだった。
 戦後も柳田泉氏は乱歩所蔵のコリンズ全集を借覧されて「非小説」の原作を調査されたが見当たらなかったとは直接同氏からお聞きしたことがあり、乱歩氏も京都の臨川書店あたりから英書の古書販売目録を取り寄せて、詮索されておられたものだった。
 かつて「鉄仮面」の幻の原書をボアゴベ作「サン・マール氏の二羽のツグミ」と松村喜雄氏が明らかにされた時は、旧『宝石』昭和二十八年六月号誌上に紹介されたりしたのも、その関心の現れでもあった。
 さて、私も機会ある毎に心掛けてはいるものの、なかなかままならぬもので、「大金塊」の原作を『萬朝報』の涙香の自記によって、フエンの「暗き家」(ゼ・ダーク・ハウス)とハルリスの「身を殺す願い」(ゼ・フェータル・リクエスト)の折衷訳と突き止めたのと、「我不知」はコリンズの訳ではなく、米国作家の作の訳と調査したなどが主なものに過ぎないのであった。
 だが、最近になって、やっと涙香訳の原作を一つ発見することができたので、その顛末を記してみよう。(中略)以上、「角書仙術 霞の衣」はアンデルセンの「裸の王様」より『ルカノール伯』(中略したため編者注 ドン・マヌエル作)に共通点が多く見出される。これは正に『ルカノール伯』の第七章の話は涙香の原作だったことを意味していることに他ならないと思う。

桃源社『黒岩涙香研究』昭和五十三年十月刊


『江戸川乱歩と涙香』(抜粋) 伊藤秀雄
 雑誌の「宝石」五月号は涙香特集になっていて、乱歩の解説の涙香翻訳科学小説「暗黒星」を再録し、同じく乱歩の斡旋による涙香関係者の座談会記事をのせている。
 後になって乱歩は「涙香歿後友人の思い出を集めて出版した『黒岩涙香』という本に書いてあるよりも、もっと詳しい内輪話も出て、この座談会は涙香研究家にとって貴重な資料になったのは会心のことであった」(探偵小説四十年)。と書いている

日本古書通信 昭和六十年七月号


『黒岩涙香を偲ぶ座談会』(抜粋)
江戸川(乱歩) 探偵小説の原書は涙香の歿後白石さんのところに行ったのではありませんか。
木村(毅) それは白石さんから直接聞きましたが、やっぱり、白石さんのところに、涙香の訳した原書がたくさんあったそうです。
白石(下子 実三未亡人) そう申しておりました、白石(実三)も 。
木村 あの原書は当時五銭か十銭の文庫本ですから、白石さん保存に困っちゃって、売ったんですよ。
白石 そうなんでございますよ。私の母の方へ断ってね。私ではなく、私は女房でございますから。そうしたらその古本が安く氾濫したんでございますね。それは有名になってしまいましてね。思軒居士の蔵書(註、涙香訳の原書が思軒文庫にまじっていたので白石下子さんはそれを区別しないで話しているのである。)が市場に出たという評判になって、白石は困ってしまったのでございます。
木村 僕が古本屋でみたら「捨小舟」などというのは涙香さんの書入れそのままがあるのです。「ノーボディーズ・ドーター」というので、小説の中の人名にはこれこれの字を当てようということが本の隅に書入れてある。白石さんに会ったときに、僕はこういう本を買ったのだけれども、どこから出たかといったら、白石さんは、僕が始末に困って雑本だけは売って、いい本だけは残しておったといっておりました。
白石 そうなんでございますよ。蔵書は二万冊もございましたから。思軒文庫は下子さんに遺産がないから嫁ぐときに下子さんの持参金の代わりにそっくり上げるといって涙香のおしせさまからもらったのですか、白石はその頃狭い家にいたものですから。
鈴木(珠子) あの思軒文庫は、涙香のなくなったあとで、社のものが、社の所有品だと思って南葵文庫へ譲ることにしたのです。私は下子さんの方へ行くものだということを、よく知っていたものですから、南葵文庫へ入ってしまっては大変だと思って、いそいで白石さんにお知らせしたのですよ。
白石 そうでこざいます。珠子さんからお知らせ下さったのでございます。
鈴木 それで私が頑張りまして、ほかへ行かないようにしたものですから、白石さんは本当に感激なすったんですよ。それですからその仰せの黒岩の翻訳の原書の方も、この時思軒文庫と一緒にみんな白石さんの方へ行ったのです。全部です。
白石 その時の本の目録を二通作ったのですが、その一通が私共に未だに残っているのです。あの目録があれば大変御参考になるわけです。
木村 それは一つみせて頂きたい。
江戸川 是非見たいですね。
白石 帰って探してみます。

宝石 昭和二十九年五月号



《参考》
「新青年』歴代編集長座談会
 江戸川(乱歩) 延原さんは、ドイルがはじめっから好きだったの。
延原(謙) 好きだったわけじゃないけれども、ドイルの文章はまぎれがない。こっちの意味だろうか、あっちの意味だろうかということがないからね。それでやったんだ。尤も最初はね、逓信省へ勤めておって、神田の古本屋で本買ってきたら、それに訳が書き入れてあるんだ。非常にうまい翻訳なんだ。ちょっとしたところがね。それに刺激されたところがあるね。それから逓信省をやめて探偵小説の翻訳専門にやりだしたら、英語は中学でやっただけて、あまり読めないから、苦しかったね。一生懸命勉強したよ。
宝石 昭和三十二年二月号





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