〇大衆文学資料
渡辺剣次の探偵作家対談
 かつての探偵小説専門誌であった〈宝石〉が探偵小説関係資料の宝庫であることは、何も私だけの意見ではあるまい。そして、その中に、あまり目立つことのない活躍を続けながらも、忘れられない研究家の一人に渡辺剣次がいることも多くの人が考えていることであろう。だが、氏のプロフィールを語ることはこの稿の目的ではなく、また誌面も限られていることもあり、興味のある方は〈幻影城〉昭和五十一年十一月号の『渡辺剣次追悼特集』を参照いただきたい。
 その氏の刊行物としての功績と云えば、〃推理小説のトリックのすべて〃なるサブタイトルを付し、昭和五十年に講談社から刊行された『ミステリイ・カクテル』が第一にあげられよう。この著作は、著者が、最後の章で江戸川乱歩の『類別トリック集成』成立の労苦を、近くにいた立場から回想した後に、<本書「ミステリ・カクテル」は、江戸川乱歩の「類別トリック集成におおむね準拠して、数多いトリックのなかから代表的なものを抜きだし、その作品例を要約してのべ、各々の概念をときあかし、かつ同種のトリックをふくむ代表作を列挙し、全編を読みものとしてまとめたものである〉と明記している通り、乱歩の影響の大きい研究書と見られている。
 そして、翌年に同社から刊行された『13の密室』、『13の暗号』、『13の凶器』、『続・13の密室』と題された部門別のアンソロジーが、前書『ミステリ・カクテル』の趣旨をもとに蒐められたものであると考えられ、編者の死がこうも早くなかったならば、他のアンソロジーと同じく『13の』と統一したタイトルを持った、乱歩の云う『犯人(または被害者)の人間に関するトリック」「人及び物の隠し方トリック」等のアンソロジーが出版された可能性もあったはずであろう。しかし、昭和五十一年の氏の死去により、残念ながらその計画も頓挫した形になっている。
 この代表出版物から氏の遺業を眺めてみると、トリック、密室、暗号、凶器と、何方かと云えば、探偵小説の小道具関係に偏った嫌いがある感も否めないものの、乱歩の遺業を引き継ぐ形をとりながらも、その説を敷延してい
るだけでなく、高木彬光、天城一、山村正夫、鮎川哲也、木々高太郎、松本清張、都筑道夫等の各氏が述べた説を取り入れた、現代に通じる研究者の立場をとっており、単なる懐古趣味に陥っていない、その研究姿勢は評価されなければならないだろう。
 また、渡辺剣次は、以上のようなトリックのみに拘泥しているわけではなく、往時の<宝石〉を見てみると、探偵小説界各年の展望など、いわゆるマニアックな研究以外にも活躍していたことが解る。中でも、特に現在でも無視し得ないものであり、公刊されても不思議のない研究として、渡辺剣次が特定の一人の作家と対談し、その経過を氏が咀嚼してまとめた『探偵作家対談』が印象が深い。たが、この研究は、〈宝石〉の目次を見ただけでは、ただ、タイトルと渡辺剣次の名があるだけで、実質的な最終回の〃訪問〃とある二文字を除いて、どのような内容であるか判断すらできず、扱いも、小説に比べて一回り小さい活字を使っているものであるため、余り目立たない存在となっている。もちろん、目次からは、対談者の名も、一般には半数以上解らないし、連載であるとことも、その回数も窺い知ることはできないため、ここに整理して記してみよう。
 
1 宇陀児氏大いに語る S28−6    大下宇陀児
2 刺青と能面と甲冑 S28−7    高木 彬光
3 海鰻荘の秘密 S28−8    香山  滋
4 角田先生とスリラア問答 S28−9    角田喜久雄
5 実説若さま侍 S28−10    城  昌幸
6 新聞・テンポ・殺人 S28−11    島田 一男
7 アラン・ポーの末裔 S28−12    大坪 砂男
8 薔薇と悪魔の詩人 S29−1    渡辺 啓助
9 情熱の泉 S29−4   木々高太郎

 この対談連載に、江戸川乱歩や横溝正史、水谷準、また、当時の探偵小説世界の新しい旗手として謳われた戦後五人男の一人、山田風太郎の名が見えないのに、些か物足りないもの感じないでもないが、実質的に最終回となった木々高太郎との対談にすら、最終回であるとの執筆者の弁がどこにも見当たらないから、氏としてはこの先も継続する可能性も少なからずあったようだ。この現在でも外にみられない、対談連載を中心とする氏の嗜好に拘泥しない遺した研究こそ、価値ある希少性を有しているのではあるまいか。
 さて、今回は、この対談連載の中から、他者の追随を許さない作品を描きながらも、語られることの少ない島田一男氏との『新聞・テンポ・殺人』から興味深い資料を紹介してみよう。

 資料面でも歴史に残る〈幻影城〉、その昭和五十年四月号は、巻末読切中編の一編として山口海旋風の『レジデントの時計』を再録し、横田順彌による『未来戦争小説の系譜』を解説として付している。それとは別に山口海旋風の人と仕事については、浅井健によって『山口海旋風について』と題した、作家としての山口を窺い知るには不可欠ながら、枚数の限られた解説が掲載されている。
 その中での、山口海旋風のプロフィールについての記述を引用すると、
 《山口海旋風(やまぐちかいせんぷう)の本名は山口源二。学歴など詳しいことはわからないが、氏が満州で出版した「東亜風土猟奇物語」(康徳六年=昭和十四年、月刊満州社)の「はしがき」に、この著書収録作品にふれて、〈これは大部分私自身の体験及び見聞の記録で、小説的作為を弄した点は極めて少ない。取材の範囲が南洋・支那・満州・蒙古に及んでいるのは、私の過去の足跡を物語るもの〉とあるのを見ると、新聞記者、または商社員てはなかろうか》と、ある。
 そして、『探偵作家対談』で、島田は、 
「僕が『満州日報』に入社した当時の社会部長が山口海旋風でしてね」
「海旋風?」
「御存知ないですか。『新青年』にも探偵小説を書いたことのある作家です。この方は僕の記者時代の恩師で、大谷老瑞師の秘書をやったこともあり、大谷さんの代りに南方の島の王様になったりした快男子なんですけれど。この人が、僕が入社するなり(お前は、『新青年』をよんでいるか)ときくんです。僕が(よんでない)と答えますとね、(『新青年』は新聞記者の教科書だからよみ給え)と教えられたんです」
「どういう意味ですか?」
「つまり『新青年』のもつ感覚は文章の新鮮さと文章の省略法を勉強するのに適切な教科書なんですね。それから、社会部記者として探偵小説は絶対に必要なものだから読めという訳です」
「なるほど」
「そこで教えを守って『新青年』をよんでいる裡に、僕は次第に探偵小説に熱中してきたんです。山口さんからは『新青年』学校の優等生だなんて褒められましてね。(笑)一度探偵小説を書いてみろと勧められていたんです。 と、ここから、今でも知られていない山口海旋風のプロフィールのヒントと、同じ仕事場で過ごした生きた記録だけではなく、山口海旋風を媒介とした島田一男とはあまり結びつかない〈新青年〉との関連も明らかになっており、都市部のモダニズムばかり喧伝されている同誌の、大陸でのおもかげも知ることができるよう。
 また、ここには、坂口安吾が『「刺青殺人事件」を評す』(宝石 昭和二十四年一月)の中で『古墳殺人事件』について、《これは、ひどすぎるよ。私にこれを讀めといふ、寶石の記者は、マサニ、こんなものを人に讀ませるなんて、罪悪、犯罪ですよ。罰金をよこしなさい。罰金をよこさないと訴へるよ。
 僕ら、小説を書いてゐて、自分の言葉でない、人の借り物を一行も書くと、それが気がゝりで、そこの頁をひらくことも出來ず、思ひだすたび、赤面逆上、大混亂、死にたくなってしまふものだ》と、までに苦言を呈したことに関連する、島田一男自身の軌跡が語られている点も、無視し得ない貴重な資料であろう。
 渡辺剣次が自身のデビューについての質問に対して答えた後に、島田一男は続けて、「ところが、『殺人演出』は入選したものの、江戸川先生と水谷先生から揃って、新人らしくない悪ズレた文章だと批判されて、とたんに第二作が書けなくなってしまったんです。自分に一番ぴったりした自分自身の文章のスタイルを否定され、取上げられた感じで、それから約一年間、文章のスタイルをどうして作るか模索したんです。ですからその間に書いた『古墳殺人事件』と『錦絵殺人事件』は自分の文章でない借りものの哀れさが出ているわけです。泉鏡花の文章を真似たりしましてね」
「その模索時代が昭和二十四年七月の『香水と拳銃』まで続いたんですか?」「そうです。『古墳殺人事件』に対する坂口安吾氏の批評以来、私は私なりに書ける小説を書こうと努力し、一番よく知っている記者の世界をとり上げて『香水と拳銃』を書いたんです。結局、振り出しに戻ったわけですね。その時、当時の『宝石』編集長の武田武田彦さんから、何故もっと新聞社の動きをダイナミックに描くことが出来ないのか。何故もっと記者用語を使って書かないのか、と忠告されハット眼が醒めたような思いで『社会部記者』を書いたんです』
 一時期、日本のエドカー・ウオレスとまで称されて、一見、多くの作品を書きなぐったかのように見られている、探偵小説作家の中では随一の執筆量を誇った島田一男といえども、自分のスタイルを確立し、自分に恥じない小説を書くに至るまでの逡巡が多々有ったことが、この対談から容易に読み取ることができよう。島田が初期に描いた本格の長編二作に比べて、その後に量産された新聞記者ものの作品の方が島田一男の力を発揮できる作品であるのだから、氏の煩悶は意義が大きかったはずに違いあるまい。
 今回、渡辺剣次の対談を振り返ってみて、どの回をとっても、各作家の研究にとって欠くことの資料が語られているのに、現在では不思議と注意が向けられていない感を新たにした。しかるに、研究方法にも多々あろうが、今日ではあまり見られない『探偵作家対談』に代表される時代の証言もまた、蔑ろにさるべきではないと、考えさせられた次第である。    〈了〉

                                               
(1989-9地下室)
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