〇大衆文学資料

ミステリの漫画化について 

  リクルートの書評誌『サライ』の今年一一月号の巻頭特集は〃まんがVSミステリ 時間を忘れて面白いのはどっちだ!?〃というものだった。この雑誌の存在は知っていたものの、手にするもの買うのも初めてだ。なにか読者に媚びすぎる印象があってこの雑誌へは二の足を踏んでいたのだが、初めて手にとってみると、そのイメージが当たっていた半面、まんがなどにはそのものを紹介するヴィジュアルの部分が効果をあげていたのは予想以上だ。〃まんがVSミステリ〃の始めにある〃ミステリファンをうならせるマンガ25〃その二五冊。うーん、読んでないぞ。諸星大二郎の『暗黒神話』と望月三起也の『ワイルド7』の数話だけしか読んでいない。読んでいないものの中で知っているのは楳図かずおの『洗礼』や石ノ森章太郎の『佐武と市捕物控』など一〇編であった。いやはやなんとも。やはり私は時代とはずているのだろうか。そんなことは物心ついてから百も承知しているのだがね。それにしても、取次が印刷して個々の書店に配送し、時に棚の隅に張り付けてある出版予定などを見ると、毎月毎月の出版数が文庫よりまんがのほうが上回っている事実は現実なのである。文庫には何らかの意味でのアンコールという意義も含まれているが、まんがの場合はそういった意味合いの出版はそれほど多くないようで、あれだけの新作新刊ラッシュを俯瞰できる評論家がいるとに脅威を覚える。
 また、〃マンガファンを開眼させるミステリ小説22〃の項では二二冊のうち9冊も読んでしまっている。まさかあの作品がねえ。解りやいといえば解りやすいし、若者のジレンマもそれなりに描かれているといわれればそうだけど、あの作品をラインナップしているリストは私には合わないので、まあ結局どうでもよいことになってしまった。
 〃ミステリから生まれた名作マンガたち〃の項で紹介されている図版は手塚治の『ケン1探偵長』を始め桑田次郎の『まぼろし探偵』など、探偵を主人公とする作品や、つげ義春や山上たつひこのミステリアスな物語の紹介図版で示されている。ここには紹介された図版の資料的価値はあるものの、見開き二頁ではいささか物足りない。しかしながらこれを構成した想田四による一文〃まんが黎明期に子供たちの心を捉えた少年マンガ〃の中で一九五六年に石ノ森章太郎が少女クラブ誌にC・ドイルの『まだらの紐』とE・ポーの『黒猫』をまんが化しているとが記してある。これは私にとって初めて知る書誌的事実であった。
 次なる〃名探偵再登場inコミック〃になると、私がよく知っている分野と思いきや、JETなる私にとって未知なる漫画家がホームズやクイーン、そして横溝正史などを、長田ノオトなる漫画家が乱歩を正攻法(らしい)で漫画化しているのは初耳だ。「どざえもんさがしなんて こわいからいやっ!」と宣言する赤塚不二夫の『はくち小五郎』や、痔がいたくてパンツもはけないなどといわれている『イボ痔小五郎(永井豪)』など原点のネームヴァリューだけを頼りにした一九七〇年代のパロディはリアルタイムで読んではいるが、その当時からそれど興味深い感慨はなかった。もういちど読もうとは思わない。ここにはそれだけでなく、耽美派とかやおい系とかの漫画家の漫画化作品も紹介されており、この雑誌がなけば絶対といってよいほど知りうる機会がなかった。そういった情報収集という意味での雑誌特集はある意味で意味があると思う。また、藤子不二英雄の『怪人二十面相』、ちばてつやの『魔法人形』などこれなどもここに纏めておいて意義のある文献なのだろう。
 ああそういえば、角川映画華やかなりし頃、心霊現象に詳しいとされる、つのだじろう、が、独自のの視点、つまり原作の味わいを遠く離れて、その漫画家カラーの強い横溝正史の作品を数作発表していた。当時としては「原作を冒涜している」などと評されあっというまに新刊書店たげてなく古本屋の棚からも姿を消してしまった。また私が強く記憶しているのは早稲田の古本屋街で、その単行本数冊が無造作に道路へ投げ捨てられていたことなのであった。私も当時感激した横溝作品とは違うものと考えたその漫画に一瞥するだけで手にすることなどしなかったのだが、今だったら違う。今だったら絶対に拾ってくるだろう。あの角川映画から始まった横溝正史ブームを検証するための不可欠な資料となる可能性は大だ。ああ何て漫画という分野は、こんなに人気作に偏る流動的すぎるものなのだうか。活字出版に対してもその感もなきにしもあらずだが、後になって欲しいも手にはいらない最たるものが漫画出版なのかも知れない。そうか、もしかしたら、いつでもアンコールされる漫画の古典とは手塚治虫とその周辺しかないのであろうか。漫画が新しいものを生み出すメディアの雄とはいえ、それはかりのものに終始する分野はちょっと恐い。ほんとはチョット云々などという言辞では一蹴できないのだけれども。
 漫画に限らず映画などでもそうだが、一部では原作のあるものをヴィジュアル化される場合には、決まって原作の味わいが損なわれているなどとの原作偏重の声をきくことがある。しかしそれはどうであろうか。原作そのままなら単なる絵解きでしかないし、作り手だって創造者であるからして原作そのままのヴィジュアル化など意味がないだろう。原作の魅力一〇〇パーセント望むなら原作そのものを再読三読するべきだ。市川崑が監督したあのかつての横溝正史シリーズですら、原作の雰囲気を逆手に取った市川崑本来の映画だったのだから。
 アニメーションの監督でもある漫画家の真崎守の短編集に『環妖の系譜』というのがある。一九七三年頃に各誌に掲載されたもので、シナリオライターの宮田雪が全編脚本をつとめている。この短編集は昭和五三年に編まれた選集の第一三巻にあてられたもので、編中に三編ミステリを原作としているものか含まれている。それは横溝正史の『鬼火』を原作とした『炎の軌跡』、江戸川乱歩の『鏡地獄』を原作とした『巡礼万華鏡』、山田風太郎の『虚像淫楽』を原作とした『初夏のカルテ』である。当時は狂気をテーマとした作品が多かった真崎だが、この三作品でも狂気は紙面をはみ出すほどに描きつくされている。原作と真崎の描きたかったものががっぷり四つに組んで、その結果新たなホラーが生まれている。ストーリーや状況の改編はある。やはり漫画家の腕とセンスとテーマ性を持つある程度のベテラン、もちろんよい意味での場合であるが、そういった漫画家の腕に、読まれ続けて来た作品の漫画化は期待したい。特に短編の場合はそうだ。
 そういった意味でも現在読んで見たいミステリの作品を漫画化した気になる作品がある。一九九〇年に刊行された別冊太陽『子どもの昭和史』に紹介されている一九七〇年頃に少年週刊漫画誌に掲載されたものだ。そこにあるもの一つはなんと小栗虫太郎の『人外魔境』シリーズなのである。掲載誌は〃少年キング〃で、紹介されている扉画は第二話『化木人のなぞ(水木しげる)』、第三話『水せい人(桑田次郎)』、第四話『大暗黒(横山光輝)』、第六話『有尾人(松本零士)』など、怱々たるメンバーが名を連ねている。かたや少年週刊漫画誌の口火を切った〃少年マカジン〃は江戸川乱歩・恐怖シリーズを掲載する。横山光輝の『白髪鬼』、桑田次郎の『地獄風景』など。また、同じ時期に〃少年キング〃は乱歩の『白昼夢』を石川球太が漫画化している。これらの作品たちが何作あるのか、あるのなら他にどんな漫画家が手掛けているのかなどはわからないが、片鱗だけを見るに他の作品、特に話数が紹介されているもの以外の作品も、このシリーズのラインナップから推測するに期待は大きい。大ロマンの復活の余波は少年漫画誌にも及んでいたのである。
 別冊太陽に紹介されている扉絵は見るからに興味をそそる。これらの作品を掲載意図のままに出版できないものだろうか。今は太田出版など個性溢れる漫画の復刻が静かなブームになっている今、少なからぬ支持は期待できよう。なになに、原稿が散逸している可能性か高いって。なあに掲載誌があればコンピューターでどうにかなるだろう。器械は道具なのだからして、昨今のCG技術を駆使すればどうにかなるはずである。もちちんオペレーターの腕にもよるけれども。

(19- 地下室)

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