〇大衆文学資料

長谷川海太郎の外国観

 長谷川海太郎は当時として希にみるコスモポリタンであった。長谷川海太郎といっても本名ではあまりなじみではないが、牧逸馬、谷譲次、林不忘と、三つのペンネームを使い分け、昭和の初期を縦横無盡に駆け抜けた文壇の寵児である。一説によると、この〃文壇の寵児〃なる言葉は、長谷川海太郎のを称して作られた言葉だというが、真偽のほどはともかくとして、氏の作家としてのエネルギーと、当時、人口に膾炙した作品量は膨大だったことは事実である。
 明治以降、海外に飛び出し居を構え、同地の風俗慣習に親しんだ後に帰国し、それまでわが眼に見えなかった祖国日本というものを瞠め直すことが、かつて活躍した多くの作家にとって作品を作ることに必要不可欠な側面となっており、どうしても近代文学の避けられない大きな一面といえよう。これはなにも近代文学に限った状況ではなく、江戸末期に突如として敢行された鎖国撤廃以来、日本の発展(勿論、この場合、発展とは総ていい意味とは限らないのだが)に暗に明に付随した大きな因子であったことは論をまたない。
 長谷川海太郎も勿論、海の外へ飛び出している。大正七年から十三年まで、足掛け七年もの長きに亙って単身アメリカに暮らし、帰国後、その体験を虚々実々に描いた『めりけん・じゃっぷ商売往来』などによって、作者一流のユーモアと機智を表面に、そして、国柄や人種の違いによる精神的衝突を底流に、アメリカの一時代を見事に照射した。氏の家族、氏の高校時代の交友は、室謙二による伝記『踊る地平線 めりけんじゃっぷ 長谷川海太郎伝』(一九八五年 晶文社刊)に詳しいく、久生十蘭や水谷準が氏にとって函館中学時代の同窓であるということなど、興味を魅かれる事実だが、誌面の都合もあり興味をお持ちの方は同書を参照していただくとして、今稿では、氏が種々のアルバイト繰り返し、一黄色人種として辛酸を嘗め身をもって生活したアメリカだけではなく、より広範な世界観を、牧逸馬の代表作の一つである『世界怪奇実話』から摘出してみたい。テキストは桃源社版による。
 『世界怪奇実話』は、昭和四年から八年まで〃中央公論〃に連載された。世界各地を舞台としたセンセーショナルな文字どうり怪奇実話を、牧逸馬の眼を通して描きあげた作品で、厳然たるノンフィクションというより、読物的な味が濃厚で、それであるからこそ、この作品は現在まで読み継がれてきたともいえるだろう。
 長谷川海太郎は〃中央公論〃からヨーロッパに派遣され、そのルポルタージュが『踊る地平線』として同誌上に結実させただけでなく、時を同じくして収集した海外の実話資料を持ち帰り、特派の余禄という形で、『世界怪奇実話』が生まれたわけである。これは、前のアメリカ放浪が生活の糧を得なければならない突き詰められた側面があったのに対して、ヨーロッパ旅行当時には既に長谷川は名も成しているだけでも、いわば、物見遊山に近い安心感があったことは否めないだろう。しかし、一連の『世界怪奇実話』は、軽快な語り口とは裏腹に、牧の眼は冷徹で風化しないものとして記憶に残り現在に至っている。 数年間の働かなければ生活できなかったアメリカについて牧はこう考えていた。『都会の類人猿』で、《このだらしのない警察  寧ろアメリカ式に事無かれ主義での横着》と評し、『斧を持った婦人の像』では、《悲しきまで事務的な市俄古人》、などと、そして『白日の幽霊』では、《亜米利加なんて、要するに馬鹿金があって便利な品物を安く沢山作ることが上手なだけで、一般には、知識的に随分遅れていると観ていい》《裁判所で、お祈りで公判をひらくなんて、政教一致の時代なら知らず、僕らには想像もつかないが、ここらが、亜米利加という国が新しいようで、大いに古いゆえんである》《亜米利加の共和制というものは、不思議なものである。馬鹿なやつの手に立法権のあるのは、三歳の子供が、嬉し紛れに刄物を振り廻して、おまけに火いたずらをしているようなものだ》などなどと物質的合理社会を皮肉る。また、『双面獣』に見られる《昔から亜米利加では群衆の感情が激発すると、このlynchということは間々ある例だ。/街頭の昂奮性野次馬が絶大の勢力を有つ米国辺りでは……。群衆に弱い亜米利加官憲としは……》。など、このあたりなど読むと、今日ですらアメリカ社会が抱えるフロンティア・スピリッツ信奉の裏面に潜む病巣にまで踏み込んいることが判然と描写されており、流石に地に足がついて、半世紀以前の作品とは思えないほどの迫力を醸しだしている。
 イタリアに対してはさほど踏み込んではおらず、《流石大騒ぎ好きな伊太利人も》《口の達者な伊太利だから》《幾ら秘密と犯罪の国伊太利にしても》『果たして彼女は』といった程度だが、やはりラテン民族の国イタリアを彷彿させてくれる。
 《ここでは大分小説的に取扱って、見たように書いてあるばかりか、仏B西の物らしく、こんなところへも忘れずに三角関係の要素を挟んで》『海妖』とあるのはフランスである。『モンルアルの人狼』では、《昔から人気が荒いので有名なモンルアル地方である。これから初まって六年間、同じような犯罪がこの界隈に繰り返された》《この鬼夫婦を見ようと言うので、近郷近在から大層な人出、まるで競馬かお祭札みたいに物売りの店が立った。仏蘭西らしいナンセンスだった》。そして『戦争とは何だ』では、《斯う書くと簡単だが、何しろ仏B西人の女ふたり、表情やゼスチャアが大変で、仲なか感激的な場面だったろう》と、ユーモラスに語っている。語り口は軽妙だが、ここにある毒のある洒脱が牧のフランス観だったのかも知れない。
 『都会の類人猿』で、《まだ開拓者時代の幌馬車気分が残っていて、気風の荒っぽい加奈陀だ/市町村の自警制度が発達していのである》と語るカナダ。『戦場を駆る女』の冒頭、《スラヴ族は多血質だ。むかっとして、頼まれもしないのに、女の助太刀に飛び出して行く》と評されたロシア人。また、《大体が灰どいことの好きな独逸人ではあり、女装の男娼がカフェーに出没する独逸のことだし》と、『街を陰る死翼』で、面白おかしく縦横無盡に牧は書き続けている。
 しかし、イギリスになると、段々と牧の筆はアメリカと比肩するくらいに厳しくなってくる。《ことに倫敦の東端区あたりでは、山の神連が白昼居酒屋へ集まって、一杯やりながら亭主をこきおろして怪気焔を上げているのは、珍しい図ではない》《因みに統計によれば英国は世界第一の花柳病国である》『女肉を料理する男』、《晩婚の女の多い英吉利辺り》『浴槽の花嫁』、《英吉利の田舎の人だけに、気の長い話しである》『カラブウ内親王殿下』。以上からは単なる風俗的な興味くらいしか感じられないが、つぎの『運命のSOS』にある《口の奇麗な英吉利人のことだ。これは全然信用できない》なる感慨には作家・牧逸馬の眼識があらわれて甚だおもしろい。
 加えて、英国で発生した東洋人の不思議な事件と、その裁判の経過を綴った『チャン・ミャオ博士の罪』の《何しろ商人みたいに実務一点張りの英国人の前だから、これは何の効き目も奏さなかったに相違ない》なる筆の結果が、《最上の権威は、尚更、常に大英国の面目を保つ為に存在する》『前同』となり、『S・Sベルゲンランド』の《由来白人種、殊に英米人には、人種的優越感が強い》と、ユーモラスな筆致は見られず、珍しく大上段に振りかぶっている。
 興味深いのは、裏の裏まで見知りつくしたアメリカの事件の周辺には、人種的偏見は全くといってよいほど顔を覗かせていないのに、一旅行者として訪れただけのイギリスでについて、これだけ白人種の人種的優越感を俎上に乗せているかである。長谷川海太郎が、いかにアメリカで辛酸を嘗めたかは種々の資料で明らかになっているものの、なぜ、このように屈折した書き方をしているかということは、案外重要なポイントであるかも知れない。
 さて、牧はマタ・アリ事件に取材した『戦場を駆る女怪』の中で、《小国に対する場合、何処の国も平気で可なり非道いことをして来ている。これを称して国際道徳と言う》とまで云い切っている。これは、牧の偽らざる国際観だったろう。そして、史上最悪の難船事故と現在でもいわれる『運命のSOS』のタイタニック号の乗客船員の非常事態に対して《社会制度場の区別  約束が、一瞬にして破壊され、顛倒して、皆がみな、自分一個の腕力と気力で自分と自分の愛する者を守らなければならない原始人に還元させられる》と、人間の裸の姿を冷静に瞠めている。やはり何事も突き詰めて考えようとする姿勢こそ、創作者の基本ではないかと考えさせられた次第である。
 長谷川海太郎はコスモポリタンであった。と劈頭に記したのは、勿論、海外の事情にに詳しくて、そこに多く取材しているといった理由だけでなく、今稿で考えたように、きちんと、国際社会に対して自分というものを持っていたからである。反面、これらの作品も社会を語るうえで、対比として氏の考える日本像をかなり大胆に語っているのものの、又、残念ながらここには誌面の都合もあって記すことはできなかった。テーマからは少し離れるが、この時代に書かれた『世界怪奇実話』に、公衆民衆の文字は使用していても、敢えて大衆の二文字は一度も使っていない点なども興味深い事実であろう。  〈了〉


(19oo-oo地下室)


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